子どもは、何歳になっても、お母さんに話したいことがある。
母親の役割は、話を聞き続けること
「この話だけは、お母さんに聞いてほしい。」
子どもがそう思える瞬間が、人生に何度でもあるなら、それだけで十分だ。
十六歳でも、三十歳でも、五十歳でもいい。
嬉しいことでも、悲しいことでも、誰にも言えない悩みでも。
「お母さんなら聞いてくれる。」
そう思ってもらえる存在であり続けたい。
それが、自分がこの世を去るその日まで続くのなら、
私は、母親として今世に与えられた役割を果たせたのだと、静かに胸を張って言える気がする。
子どもは、お母さんに自分の話を聞いてもらいたい。
私は、そう思っている。
幼い頃だけではない。
十六歳になっても、二十歳になっても、三十歳になっても。
本当は心のどこかで、
「この話だけは、お母さんに聞いてほしい。」
そう思う瞬間があるのではないだろうか。
だから私は思う。
お母さんの一番大切な役割の一つは、子どもの話を安心して受け止められる存在でいることだ。
勉強を教えることでもない。
立派な人間に育てることでもない。
子どもが「今日ね」と話し始めた、その声に耳を傾けること。
たったそれだけのことなのに、今の社会では、それが一番難しい。
仕事に追われる。
家事に追われる。
時間に追われる。
お母さん自身も毎日を懸命に生きている。
そして、気づけば子どもは少しずつ話さなくなる。
子どもが、いつしか自分のことを話してくれなくなる。
それは母親にとって、子どもの心が少し遠くへ行ってしまったように感じる、言葉にならない寂しさなのかもしれない。
「大丈夫。」
「別に。」
そんな短い言葉だけを残して、自分の世界へ戻っていく。
けれど、子どもが話しかけてくれたその瞬間は、一度過ぎると二度と戻ってこない。
だから私は、その時間を何よりも大切にしたい。
子どもが何歳になっても、
「お母さんなら聞いてくれる。」
そう思える場所であり続けたい。
母親だから偉いわけではない。
完璧な母親になりたいわけでもない。
ただ、子どもが人生のどこかで立ち止まったとき、
真っ先に思い浮かべる相手でありたい。
「この話だけは、お母さんに聞いてほしい。」
そう思ってもらえること。
それ以上に、母親として幸せなことがあるだろうか。
もし、その思いが私がこの世を去る日まで続くのなら、
私は思い残すことは何もない。
それが、私が母親として、この人生で果たしたい、たった一つの願いだからだ。


