初めて登録した派遣会社で、過去の職歴を聞かれました。
電話口やウェブ面談で、一つひとつ仕事を説明していきます。
そして、職歴と職歴のあいだに少しでも期間が空いていると、必ずと言っていいほど聞かれる質問があります。
「この期間は何をされていましたか?」
私は女性なので、結婚や子育てをしていた時期があります。
だから、その質問にはいつも、
「家の仕事に専念していました。」
と答えます。
嘘ではありません。
けれど、その言葉を口にするたび、心が少しざわつくのです。
自分の人生の時間を、自分がどう使おうと本来は自由なはずです。
一年間、小説を書いていてもいい。
旅をしていてもいい。
本を読んでいてもいい。
毎日散歩をしながら、自分を立て直していてもいい。
人生には、生産性だけでは測れない時間があります。
誰にも評価されなくても、その人にとってかけがえのない時間というものが、確かに存在します。
それなのに、「この期間は何をされていましたか?」という質問は、ときどき別の意味を帯びて聞こえてきます。
「その時間は、社会的に価値がありましたか?」
そう尋ねられているような気がしてしまうのです。
だから、心がざわつく。
先日、派遣会社から紹介された職場で面接を受けたときも、その質問をされました。
私は用意していたとおり、
「家の仕事に専念していました。」
と答えました。
嘘ではありません。
でも、本当に言いたかったことではありませんでした。
本当は、もっと違うことを言いたかったのです。
私は、私の人生を生きていました。
ただ、それだけです。
もちろん、採用する側にも事情はあるのでしょう。
長い空白期間があれば、仕事への意欲や生活状況を確認したい気持ちも理解できます。
けれど、そのたびに、自分の人生を社会が理解しやすい言葉へ翻訳しなければならない。
「家の仕事」
「資格の勉強」
「家族の介護」
そうした理由なら納得してもらえる。
でも、
「小説を書いていました。」
「自分を見つめ直していました。」
「静かに暮らしていました。」
そんな答えでは、どこか説明不足のような空気になる。
その瞬間、自分の人生を少しだけ他人の価値観に翻訳しているような気持ちになるのです。
そして私は、その感覚がたまらなく嫌でした。
仕事は人生の大切な一部です。
でも、人生そのものではありません。
履歴書に書ける時間だけが人生ではないし、誰かに雇われていた時間だけが価値のある時間でもありません。
本人が振り返ったとき、
「ああ、いい人生だった。」
そう思える時間なら、それは十分に意味のある時間です。
職歴のわずかな隙間など、その長い人生から見れば、本当はちっぽけな出来事なのかもしれません。
私はもう、自分の人生を「空白」と呼びたくありません。
誰にも雇われていなかった時間も、
誰にも評価されなかった時間も、
私は確かに生きていました。
履歴書には書けない時間。
けれど、人生にはちゃんと刻まれている時間です。

