ひとりでいることが怖かった私が、ひとりの時間を取り戻した夏
それまで私は、一人で自宅にいることができなかった。
文字通り「居る」ことはできた。
けれど、それはいつも危うさと隣り合わせの時間だった。
私には、30年近く抱えてきた、誰にも言えない病がある。
それは、食べることで心の苦しさを紛らわせてしまう過食症。
長い間、私はその苦しみを隠しながら生きてきた。
人には見えない場所で、自分自身と闘い続けていた。
だからこそ、48歳の夏。
仕事を失い、ひとりで過ごす時間が増えたことは、私にとって何より怖いことだった。
なぜなら、日々の収入がなくなったにもかかわらず、私は過食するための食材を買うことで、大切なお金まで失ってしまうかもしれなかったからだ。
自分でも止められない行動を、また繰り返してしまうのではないか。
その可能性を考えるだけで、心底怖かった。
けれど、逃げ続けてきたものから、もう逃げることはできなかった。
2026年の夏。
この夏は、私にとって思いもよらない転機になりそうだった。
例えば今日。
夕方17時から仕事の面接がある。
それ以外の予定は何もない。
私は近所のドラッグストアでカロリーメイトを買って帰り、大好きなミルクティーと一緒に食べた。
それだけだった。
けれど、以前の私なら。
一人で過ごす予定のないこんな日は、決まって過食に向かっていた。
お腹が空いて、我慢できなくて食べるわけではない。
頭の中を一度真っ白にしたい。
何も考えたくない。
そんな思いから、自分自身で過食することを選んでしまうのだ。
摂食障害の始まりは、多くの場合、
「食べたいけれど、太りたくない」
という気持ちから始まると言われている。
けれど、30年近く抱えていると、それだけでは説明できなくなる。
いつしか食べることは、欲望ではなく、
心の中に抱えた苦しさを処理するための行為へと形を変えていった。
まるで、自分で自分に重い石を持たせ続けているようだった。
でも、ある時から私は、自分自身にそれを許すようになった。
なぜなら、この病気は私を苦しめただけの存在ではなかったからだ。
もしかしたら、人生の崖っぷちにいた私を、かろうじて生につなぎ止めてくれたものでもあった。
もし過食という行為がなかったら、
あの苦しい時期を私は乗り越えられなかったかもしれない。
そう思うことがある。
だから私は、この病気をただ憎むことができなかった。
過食症は、今日まで私を生き延びさせてくれた一つの方法でもあった。
もちろん、できることなら手放したい。
お金も失う。
時間も失う。
そして、人に見られたくない自分を作ってしまう。
決して望んでいるものではない。
けれど、30年近く私のそばにいた存在だからこそ、
ただ敵として切り捨てるのではなく、
向き合っていきたいと思うようになった。
そして、そのきっかけが――
2026年のこの夏、
すでに静かに始まっていることを、
私はどこかで感じている。

