今は、
- 個人が参加できる
- 誰でも発信できる
- 誰でも商品を売れる
- 誰でも仕事を受けられる
そんなふうに言われています。
YouTubeも、ココナラも、noteも。
個人が自分の力で何かを始めるための場所は、ずいぶん増えました。
けれど、実際には、
人が集まるところに、さらに人が集まる。
売れている人に、さらに仕事が集まる。
フォロワーの多い人に、さらにフォロワーが増える。
実績のある人に、さらに実績が積み上がる。
そんな循環が起こっています。
後から参加した人も、表面的には同じ土俵に立っています。
誰でも参加できる。
誰でも挑戦できる。
けれど、その「誰でも」の中には、すでに大きな差があります。
先に始めた人。
すでに知られている人。
実績を持っている人。
人を集める力を持っている人。
そういう人たちに、さらに人も、お金も、仕事も集まっていく。
つまり、
「個人が自由に参加できる市場」のように見えて、実際にはプラットフォーム側の仕組みと、一部の強い参加者に大きな利益が集まり続ける。
そんな構造の中に、私たちはいるのだと思います。
ときどき、
「これって、企業の独占禁止法のようなものが必要なのではないか」
とさえ思ってしまいます。
もちろん、実際に同じ法律で規制すべきだという意味ではありません。
ただ、
「誰でも参加できます」
と言われている場所が、本当に誰にとっても公平な場所なのだろうか。
そんな疑問が残ります。
だから私は、少し違う道を歩いてみることにしました。
その土俵から、少し外れてみる。
私が今取り組んでいるのは、そのための二つのことです。
ひとつは、収益のために書かないブログを発信すること。
もうひとつは、先例の少ない、独自のコンテンツを販売すること。
どちらも、すぐに大きなお金になる方法ではありません。
むしろ、効率が悪いのかもしれません。
「そんなことをして、誰が買うの?」
そう思われるかもしれない。
でも、すでに人が殺到している場所へ、後から参加して、同じことを始めることだけが方法ではないと思うのです。
たとえば、2009年頃の白いたい焼き。
そして、第三次タピオカブーム。
流行が起きる。
店が増える。
人が集まる。
「これは儲かりそうだ」と気づいた頃には、すでにたくさんの人が同じ場所に向かっている。
そこへ出遅れて、後からちょこんと乗っかる。
もちろん、それでも成功する人はいます。
けれど私は、
「すでに人が殺到している場所に、後から入ること」ばかりに時間を使いたくない。
そう思うようになりました。
大切なのは、
「一部の人に利益が集中する。それでも、自分は何をするのか」
を考えることなのではないでしょうか。
誰かが作った大きな土俵の上で、上位を目指す。
それだけではなく、
自分で小さな土俵をつくる。
そこには、まだ誰もいないかもしれない。
誰も見てくれないかもしれない。
誰も買ってくれないかもしれない。
それでも、そこにしかないものを、自分の手で育てていく。
私は今、それを試してみたいと思っています。
これは、負け惜しみなのかもしれません。
諦めなのかもしれません。
あるいは、単に大きな市場で勝負する力がないだけなのかもしれません。
それでも。
土俵を変えることは、逃げることとは限らない。
むしろ、
自分が生き残れる場所を、自分で探し直すこと。
それもまた、個人で何かを始めるということなのではないかと思っています。

